第二次大戦時の遺物T-34、IS-2戦車がロシア軍訓練場に登場

ロシア軍の訓練場で第二次世界大戦時にソ連軍で活躍したT-34戦車やIS-2重戦車とISU-152自走砲が並ぶ様子が公開され、戦車不足に悩むロシア軍がとうとう第二次大戦時の遺物をウクライナに投入するのではと噂されている。

SNS上に最近、ロシア軍の訓練場にT-34戦車、IS-2重戦車、ISU-152自走砲といった第二次世界大戦時の骨董品兵器が並ぶ様子の動画が公開された。ソーシャルメディアの情報によれば、場所はロシア東部のハバロフスクにある第392地区訓練センターの訓練場で撮影されたとされる。

訓練場というように新兵などの訓練を行う場所で、T-34やIS-2といった戦車は訓練用に用意されたものだと思われるが、例え訓練といえど、2024年の今、第二次世界大戦時に使用されていた兵器を使って訓練を行うのは通常ではない。

T-34戦車

第二大戦時のソ連軍を代表する兵器T-34が開発されたのは1939年と今から80年以上も前だ。ソ連軍の戦車として1942年の独ソ戦に参加。最新の傾斜装甲に強力な76.2mm砲を搭載し、快進撃を続けるドイツ軍の戦車部隊に立ち塞がった。当時、ドイツ軍の主力戦車であったⅢ号戦車、Ⅳ号戦車ではT-34に歯が立たず、中戦車では最強を誇った。1944年には85mm砲を搭載した改良型のT-34-85を開発。双方合わせて戦時中、6万輌近くがT-34が生産された。戦後も生産は続き、1950年代までに延べ2万輌が生産。多くの国、特に東側の国に輸出された。

IS-2重戦車

IS-2はソ連の指導者にちなんでスターリン戦車とも呼ばれた重戦車で1943年12月から生産が開始され、1944年4月に初めて戦闘に参加、第二次大戦末期にソ連軍で活躍した。主砲には強力な122mm戦車砲を搭載。厚い傾斜装甲に機動力も高く、当時最強と言われたドイツ軍のティーガーI戦車と互角以上に渡りあった。最終的に3500両が生産され、中国などにも輸出された。IS-2は大戦後も近代化が施され、1995年まで現役で運用されている。

ISU-152自走砲

ISU-152は1943年12月に生産が始まった自走砲になり、1955年までに延べ4600両以上が生産された。シャーシはIS-2と共通になり、名前が示すように152mm口径の榴弾砲を装備しており、当時、この口径の直撃に耐えられる要塞や車両はほとんどなかった。第二次大戦時に主にドイツ軍で運用された突撃砲としても使用され、歩兵の突撃を支援するため、敵のトーチカや砲兵陣地、戦車などを攻撃する近接砲撃支援を行った。ソ連軍では1970年まで現役だった。

博物館級兵器

このようにこの3つの車両は、第二次大戦時に開発、活躍した車両になり、とっくの昔に退役。第二次世界大戦記念公園や軍事博物館に展示される代物だ。第二次大戦戦勝記念パレードなど軍事イベント用に数量が稼働状態であるぐらいだ。第二次大戦時の兵器は現代戦において火力、防御力、機動力と全てが大きく劣っている。あくまで訓練用途と思いたいが、ロシア軍の戦車は枯渇しており、これまでも旧式の兵器を引っ張りだしてきており、ウクライナへの投入は考えられなくない。

長引くウクライナ戦争で戦車が不足したロシア軍は予備役として保管していたT-80、T-72戦車を復活させるも、それが足りなくなってくると、1960年に配備され、2013年に退役が決定していたT-62戦車を復活させた。しかし、損害が増え、T-62も足りなくなると、とうとう、戦後直ぐに開発されたT-54/55をウクライナに投入するのが確認されている。この投入が確認されてから次はT-34、IS-2が投入されるのではと半分冗談で言われていた。もちろん、こんな旧式でも敵陣地や軽車両を破壊する威力はあり、火力の足しにはなる。実際、現在もイエメン紛争で使用されているのが確認されている。

北朝鮮兵が乗る?

T-34とIS-2が投入されるとして、考えられるのが北朝鮮兵の搭乗だ。今回、車両が確認されたハバロフスクの訓練場は極東に位置し、北朝鮮兵が適応訓練を受けている場所ともされる。T-34、IS-2、ISU-152共に朝鮮戦争に投入されており、朝鮮人民軍も保有。T-34は軍事パレードで確認されており、まだ現役で運用されているとも噂されている。

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