第二次世界大戦時はナチス・ドイツのポーランド侵攻によって始まりました。ポーランドは東からはソ連に侵攻され、二大戦車大国から挟み撃ちにされます。この時、ポーランド陸軍の要として戦ったのが「7TP軽戦車」です。軽戦車としてはドイツ軍の軽戦車Ⅰ号・Ⅱ号戦車も凌駕する有能な軽戦車でした。
ヴィッカース戦車から7TP戦車へ
7TP軽戦車はポーランドによって完全オリジナルで開発されたものではありません。イギリスの”ヴィッカース 6トン戦車”のライセンス供与を受けて、ヴィッカースをベースにポーランドで改良を加えた軽戦車です。1930年代初頭、ポーランドはイギリスからヴィッカースを50輌購入します。戦車発祥のイギリスが開発したヴィッカースは当時しては先進的な戦車の一つでした。
ヴィッカースは購入時のタイプAと呼ばれる主砲ではない機関銃搭載の双砲塔型の状態でポーランド軍に配備されます。部隊である程度運用された後、ポーランド国立工業公社はヴィッカースをアップグレードし、ポーランド独自の7TP戦車を開発します。
改良点
改良された7TPはヴィッカースと比較して、主にパワーと装甲が強化され、武装については複数のオプションが用意されました。総合力に関してはヴィッカースを上回っており、ポーランド軍にとっては初の主力戦車となります。
エンジンは80馬力のアームストロング・シドレー空冷4気筒ガソリンエンジンから110馬力のSaurelVBLDdディーゼルエンジンに変更、出力が約20%増加しました。装甲は車体前部を13mmから17mmに、砲塔の厚さは13mmから15mm、側面の厚さは13mmに増加され、小口径の砲弾に耐えられる防御力が追加されます。その他の変更には、サスペンションの強化、機関室の拡大、換気システムの改善、通信機器と潜望鏡が追加されています。これらの改良により、ヴィッカースの車輛重量6トンから7トンに増えます。”7TP”という名前はポーランド軍(P)7トン(7T)戦車を表しています。乗員数は変わらず、戦車長、操縦手、砲手の3人です。
ミリタリーブロック WWII ポーランド軍 7TP DW 軽戦車 7TP DW Light Tank
双砲塔型と単砲塔型
武装は二つのタイプあり、当初はヴィッカースTypeAの2つの砲塔を備えた双砲塔型が使用されていました。砲塔はそれぞれ280°回転します。砲塔には7.92mm機関銃、または13.2mm機関銃を搭載していました。ポーランド軍は運用する中で、この双砲塔型が実用的ではないことを悟ります。砲塔の運用には戦車長と砲手の2人が取られ、それぞれが攻撃に手を取られるため攻撃の指揮系統の調和がとれなく無くなります。また、機関銃では敵戦車の装甲を貫くことができません。結局、双砲塔型の7TPは24輌しか生産せず、単砲塔のTypeBの生産に切り替えます。TybeBにより強力なボフォース37mm砲、副武装に同軸の7.92mm機関銃を搭載します。
ヴィッカース6トン戦車より全てにおいて優れていた7TPはスウェーデン、エストニアなど周辺国が購入を求めますが、ポーランドは双砲塔型は認めるものの単砲塔型に関しては1輌も輸出しませんでした。
第二次世界大戦勃発
1939年9月1日、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発します。この時、ポーランド軍には約130輌の7TPがあり、そのうち約100輌が単砲塔型の7TPでいた。ポーランド軍の最強戦車として、ドイツ軍を迎え撃ちます。しかし、この時、ドイツ軍には中型戦車のIV号戦車が配備され、その上、空からはJu87シュトゥーカの急降下爆撃。そして、何より7TPの数がドイツ軍の戦力に対して圧倒的に少なすぎました。結局、その絶対的な戦力差の中では優秀といわれた7TP戦車も性能を発揮できず、ポーランドは早々に敗退します。
敗戦後、約20輌の7TPがドイツ軍に鹵獲され、「Pz.kpfw.7TP」とリネームされ、ドイツ軍第1装甲師団第203戦車大隊に配備。1940年にノルウェーとフランスでの戦闘に参加しています。