Maus(マウス)世界で最も重いドイツ戦車

Maus(マウス)世界で最も重いドイツ戦車

現在の主力戦車(MBT)の重量の平均は大体45~70トンです。しかし、これをはるかに凌駕する戦車が第二次世界大戦中のドイツで製造されました。その名は「Maus(マウス)」。ネズミを意味する名前からは想像できない大きさと性能をほこる戦車でした。

約三倍の重量

第二次世界大戦時のドイツ戦車というとティーガー戦車が有名です。大戦時は最強をほこり、連合軍、ソ連軍を苦しめました。ティーガーは当時の戦車の部類としては重戦車に分類され、全長10mの車体は60トン前後の重量をほこっていました。これは当時の戦車としても重い部類です。しかし、マウスの重量はこれとは比較になりません。マウスの重量はその3倍、なんと”188トン”であり、普通自動車で120台分の重さです。これは戦車史上、最も重い戦車とされています。

マウスという名前は敵を欺くため

1942年6月8日、ティーガー戦車を開発したナチス・ドイツの有名な戦車設計者であるポルシェ博士はドイツ軍の最高司令官であるヒトラーと会った際に、彼はソビエトの大型戦車の脅威に対応するために超重戦車を開発することを提案します。1941年に独ソ戦が始まって以降、ドイツ軍の戦車部隊はソ連のT-34中戦車、及びKV-1、KV-2重戦車に苦戦していました。ヒトラーは彼の提案に強い関心を示し、すぐにチーフデザイナーに任命し、128mmまたは150mm口径の主砲を装備した超重戦車の設計を命じます。コード名は当初、そのイメージに合わせて氷河期の巨像マンモスを意味するドイツ語の「マムート」と付けれますが、後に「マウス」に変更されます。これは敢えて逆のイメージの名前を付けることで、もし情報が洩れても相手を欺くという意図がありました。戦車としての正式名は「Panzer VIII Maus」です。

ドイツの蒼々たるメーカーが開発に参加

ヒトラーは1942年3月中旬にドイツのポルシェ社とクルップ社の2つの会社に超重戦車の開発を正式に命じ、競合させます。翌月にはヒトラーはそれまでの戦車設計の常識を無視し、限界重量とされた70トンを遥かに超える120トンに達する戦車の必要性を説き、要求します。5月にプロジェクト全体が開始され、ヒトラーは一撃で敵戦車を破壊、戦闘不能にする高性能の戦車砲の搭載を要求します。1943年1月、クルップ社とポルシェ社の開発案が比較検討され、ポルシェ案が採択。ドイツ陸軍兵器局は、関連するすべてのメーカーを招集して、開発のタスクを発行します。開発に参加したメーカーは、ポルシェ、シーメンス、ダイムラーベンツ、スコダ、アルカテルと今でもドイツを代表するそうそうたる企業ばかりです。

トランペッター 1/72 ドイツ軍 超重戦車 マウス ダークイエロー GERMAN MAUS Tank 完成品

走行速度は僅か22km/h

1943年12月23日、アルカテル社の試験場で最初の「マウス1」の走行試験が行われ、走行は成功ましたが、まだ砲塔は搭載されず、代わりに55トンのコンクリート砲塔の載せて代用しました。1944年1月10日、プロトタイプはシュツットガルト近くのベーブリンゲン試験場に運ばれ、より広範なテストが行​​われました。サスペンション強度の不足やその他の軽微な故障などはあったものの、最初のテストとしては多少満足のいくものでした。しかし、その最高速度はわずか20km/h、これはティーガーの40km/hの約半分です。その航続距離は1時間あたりわずか13kmしかありませんでした。そのような結果にも関わらず、その後、ヒトラーはポルシェ博士に、1944年6月までに砲塔と武装を備えた完全なマウスの生産を行うように命じます。

1944年3月20日には2輌目の「マウス2」が試験場に輸送されました。6月にようやく砲塔が届き、組立され、ようやく完成形としてのテストが開始されます。1944年10月に「マウス1」と「マウス2」の両方がベルリン郊外のクンマースドルフ試験場に輸送され、さらなるテストが行​​われます。しかし、その巨体もあり、速度、航続距離、登坂能力など機動性能は大きく要求を下回っており、戦車部隊と並走できる走行性能を持ち合わせていませんでした。その上、重すぎて橋を渡ることもできません。終いにはマウス2がテスト開始直後、エンジンと発電機の不適切な組み合わせによるディーゼルエンジンのクランクシャフト損傷と深刻な故障により、行動不能に陥ります。翌月11月には正式に開発中止の命令下り、超重戦車「マウス」の開発計画は終了となります。

TAKOM 1/35 第二次世界大戦 ドイツ超重戦車 マウスV1 プラモデル TKO2049

ドイツ兵器局は最終的に150台のマウスを生産する予定でしたが、その能力は基準を満たせず、1943年以降は劣勢に陥いり、開発に時間をかけるわけにはいきませんでした。最終的に2つのプロトタイプしか生産されず、戦闘に参加することはありませんでした。

ソ連によって鹵獲

Maus(マウス)世界で最も重いドイツ戦車

マウス2は終戦間近の1945年4月に出撃しましたが、エンジンの不調と燃料不足によって戦闘に参加することなく爆破、放置されます。マウス1は無傷のまま試験場で終戦を迎えます。二輌ともソ連軍に鹵獲されており、マウス1とマウス2を組み合わせる形で動く状態にして、ソ連本国に送られ、戦車研究の材料と収集され分析されます。そのマウスは今でも現存しており、モスクワ郊外にあるクビンカ戦車博物館に展示されています。

マウスのスペック

超重戦車「マウス」の重量188トンは戦車としては現在でも世界最大であり、小型化が進む戦車において今後もこれが破られることはないでしょう。

乗組員8人のマウスの大きさは車体長9m、砲身も含めると10m、高さ3.63m、幅3.67mです。武装は主砲に12.8cm PaK44砲、副砲に7.5cm KwK44砲、それと7.62mm機関銃2基が搭載される予定でした。ヒトラーは主砲に150mm砲を搭載していたがっていました。

最高速度は20km/h、最大移動距離は186キロメートル。機動性は非常に低いですが、最大幅は4.5mの塹壕、最大高さ0.72mの障害物をものともせず悪路の走破性に関しては優れていました。その超ヘビー級の重さで橋を渡ることはできませんでしたが、水深最大2mを走破することができたので浅瀬の川なら橋を渡らずとも横断できました。防御力は最強で前面装甲の厚さは200mm、砲塔の正面は240mm、両側は80〜180mm、背面は160~200mm、車体下が50mmです。もっとも薄いとこで車体下の50mmであり、単純に車体を狙っても当時の戦車砲と砲弾では装甲を貫通することは難しかったでしょう。

主砲、装甲ともに当時の巡洋艦並みであり、まさに陸の戦艦ともいえる戦車でした。

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